わかりやすい労働契約法のはなし(1)労働契約の成立

 労働契約法がいまひとつピンとこない、知らなかったらどうなるか、知っていたら損害をどう防げるのか、労働契約法を守っていくと企業が確かにトクになることがあれば、それをわかりやすく教えて欲しいという、真摯なご意見を経営者の方からいただいた。
労働契約法の「労働契約」という言葉自体が一般にあまり浸透していないし、また契約そのものに対するなじみが日本人は特に薄いので欧米人での理解されやすい面と比べると、確かに多くの人がピンとこないのだろう。
でも労働契約法で規定された内容自体は常識的にはわかっていただけるものと思われる。
ただ法律用語や条文だけで説明するとなかなかわかりづらいので、これから実際の具体的事例をもとにその法理念や実務上法律において適用される判断の基準などをできるだけわかりやすく解説してみようと思う。

まず、初回としては

労働契約法第6条(労働契約の成立)のはなし から

第6条 労働契約は、労働者が使用者に使用されて労働し、使用者がこれに対して賃金を支払うことについて、労働者及び使用者が合意することによって成立する。

労働契約が成立するということは、どういうことだろう。
あらためてこのことを問いただすこともなく、多くの人が毎朝決められた始業時刻に会社に出向き、決められた労働時間の中で仕事をして、所定の給料日にはその対価としてのお給料をいただく。
そのことに今更疑問を持つ方はいないだろう。アルバイトの学生にしたって同様だ。

労働者が使用者(会社)に使われ指揮命令を受けて働く。その結果採用時に合意した時間給などを給料としてもらう。これが労働契約法第6条に規定されていることだ。
労働者は「労働」というものを使用者に提供して対価をもらうことを契約しているのだ。また使用者は労働者から「労働」してもらう、その対価として賃金を支払う契約をする。文章ではごく当たり前のことを書いているかのように見えるが、この意味は意外に奥が深い。

契約は文書でなければいけないかというものではなく、口頭によるものでも有効である。
ただ口頭での契約条件というのは客観的に証明しづらい。だから当事者間で食い違いの原因となってトラブルの素になる。

だから労働契約法では第4条で(労働契約の内容の理解の促進)、使用者に労働者に提示する労働条件及び労働契約の内容について、理解を深めるように努力義務を課し、さらに使用者、労働者ともに合意した労働契約の内容について、できるだけ書面により確認するものとしているのだ。
この書面による確認は労働基準法第15条1項でも労働条件の明示義務として定められている。

ある日知人と会話をしていて次のような話を聞いた。
ある会社の経営者の親族であるその知人は近く住居を引っ越す予定だが、雑用に追われて引っ越しの準備ができていない。ここのところ焦り気味の知人が吐いた言葉に私はいささか驚いた。

「荷物はどうやって運ぶの?身内はみんな忙しいでしょ。」と私。
「うん、そうね。うちの従業員に運ばせてもらおうかと思ってる。」と知人。
「そりゃ、ダメでしょう。ちょっと違うでしょ。」と私。
「いや、かまわないでしょ。どうせ会社でゴロゴロして遊んでいるのに、給料払ってるし、もったいないしね。」というのが知人の言葉。

みなさん、どう思われますか?

これは明らかに上記の労働契約の成立に反したものといえます。この事例で行くと、経営者の親族の引っ越し作業を業務命令で手伝わさせられた会社の従業員がこれを不服とし会社に対して慰謝料請求など仮に訴訟に及んだとすると、どういう法的問題となるでしょうか。

民法1条でいう、私権は公共の福祉に適合しなければならない。
からみてどうだろうか。

同じく2項の権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
さらに3項で、権利の濫用は、これを許さない、とあり
また2条(解釈の基準)でこの法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として解釈するとある。

これらから、みてどうだろう。
労働契約法では、第3条(労働契約の原則)でも、これらのことは規定されている。

法律論でなくても自分の引っ越しの都合だけで考えるのではなく、従業員側の立場になって考えるという意識が欠如しているともいえる。
従業員としてはプライドを傷つけられたともいえなくもない。個人の尊厳にも関わってくるし、嫌気がさしてモラルの低下にもつながりかねない。
それ自体が会社にとっても大きなリスクとなり、目に見えない損失となって企業経営にも悪影響をおよぼすだろう。

従業員が好意で引っ越しの手伝いに行くのであれば別とし、そのうえで就業時間外であれば問題はないだろう。
だが、この場合は使用者側が勝手な都合で引っ越しを手伝わさせているというものだ。
明らかに「労働」としてではない。そもそも契約内容に反していることを使用者側という権利を濫用して従業員に押しつけていることなのだ。しかも相手の気持ちを考えずに。

従業員を会社でゴロゴロして遊ばさせているのは、経営者の責任だ。
要するに使い切れていないし、遊んでいるとしか見えなく、事実そうであればこの会社の未来はそう長くはない。

この話を聞いて、法律的に派生する面と会社経営に及ぼす問題を考えてみた。
むろん労働契約法自体、労働基準法のように最低基準を決めたものでもなく最終的に処罰を定めた強行規定があるわけではない。
その知人がどのようにするのかは勝手ではある。しかしそのことの影響や問題点としては直接そのリスクが自らの企業にはね返ってくる、これが本来労働契約法の持つ判例法理に立脚した法律効果そのものなのである。

働く人と会社との労働契約の基本ルールとして整備された労働契約法の持つ意義は非常に奥深いものであるといえます。